ある日、ふと時間が止まったように感じたことはないでしょうか。時計の針は動いているのに、体感としての時間だけが、ふっと止まってしまうような感覚。
それは気のせいというより、多くの人が語る”意識が変わる瞬間”のひとつかもしれません。ここでは、私自身がその感覚に出会った日のことを綴りながら、こうした体験をどう受け止めればいいのかを考えてみます。
あの日、時間が止まった
2011年前後のことだったと思います。ある瞬間、時間の流れがふっと止まりました。特別な場所にいたわけでも、何か儀式めいたことをしていたわけでもありません。ごく普通の一瞬に、それは訪れました。
もちろん、時計の針が物理的に止まっていたわけではありません。時間そのものが止まったというより、時間の”流れている感覚”だけが消えたような体験でした。
境界が溶けていく感覚
その瞬間、自分と周囲を隔てていた境界線が、少しずつ溶けていくのを感じました。景色が粒子のようにきらめき、自分もその一部であるかのような感覚です。恐怖はなく、ただ深い静けさと喜びに包まれていました。
頭で理解するというより、体の奥から「時間は、本当はない」「すべては、ひとつ」という実感が、はっきりと立ち上がってきたのを覚えています。

なぜ、こうした瞬間は記憶に強く残るのか
時間感覚が変わる体験は、その後何年経っても、驚くほど鮮明に記憶に残ります。日常のほとんどの出来事は少しずつ輪郭がぼやけていくのに、こうした瞬間だけは、色や光の質感まで覚えていることがあります。
これは、意識がいつもと違う状態に入ったときの体験が、通常の記憶とは別の形で刻まれるためではないかと感じています。科学的にすべてが解明されているわけではありませんが、多くの人がこの「特別な鮮明さ」を語っている点は、共通した特徴のように思います。
子どもの頃に閉じた扉が、再び開いた
思えば、子どもの頃にも似たような感覚がありました。年齢という区切りが本当は存在しないもののように感じられたり、周りの「普通」を少し離れたところから眺めているような、不思議な感覚です。
成長するにつれて、その感覚には静かにふたをしてきました。2011年前後の体験は、そのふたが、もう一度開いた瞬間だったのだと思います。
似たような体験をした人へ
時間感覚が変わる体験をしたことがある人の中には、「誰にも話せなかった」という人が少なくありません。日常の言葉では説明しづらく、話した相手に不思議がられたり、心配されたりすることを恐れて、胸の内にしまい込んでしまうケースをよく耳にします。
こうした体験は、必ずしも特別な訓練や特殊な状況の中でしか起こらないわけではありません。強いストレスの後や、逆に深いリラックス状態、あるいは何の前触れもない日常の一瞬に訪れることもあります。もし同じような感覚を覚えたことがあるなら、それは「おかしなこと」ではなく、意識が普段とは違う状態に入った、ひとつの体験として捉えてもらえたらと思います。

後から、その体験をどう意味づけるか
こうした体験は、起きているその瞬間よりも、後になってどう意味づけるかのほうが、人生への影響が大きいのかもしれません。「あの瞬間があったから、今の生き方を選んでいる」と振り返れる出来事は、単なる不思議体験ではなく、人生の転換点として位置づけられていきます。
この感覚は、今もどこかで、私の活動の土台になっています。教育、研究、ヒーリング、占星術、表現——分野は違っても、根っこにあるのは、あの日感じた「すべてはひとつ」という実感なのかもしれません。一度きりの出来事として消化するのではなく、繰り返し立ち返る”原点”として持っておくこと。それが、こうした体験との長い付き合い方なのだと感じています。
こうした感覚のルーツについてはPROFILEで、その先に広がる世界観についてはSIRIUS UNIVERSITYでも綴っています。







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