「普通」という言葉に、立ち止まらされる
「宇宙人みたいな子」と聞くと、どこか遠い世界の話のように感じるかもしれません。けれど、今回語られた娘さんの話は、特別な誰かの物語として片づけられるものではありませんでした。
学校に通うことや、人と顔を合わせて外に出ることが難しい時期があったといいます。
そうした姿を前にすれば、周囲はどうしても「できないこと」に目を向けます。けれど、語り手である母親が娘さんを見つめる中で、少しずつ見えてきたのは、一般的な枠には収まりにくい感覚や集中力、そして自分の意思で動き出す力でした。
娘さんは、幼い頃から「不思議な子」と言われ、さまざまな活動を経験してきたそうです。その中で、やりたいというスイッチが入ると、物事を人の五分の一ほどの時間で覚えていくような記憶力があったと語られていました。
一方で、興味や意思が向かないものに対しては、周囲が望むようには動かない。その姿は、「能力がない」のではなく、本人の中にある基準が、周囲の基準とは違っているようにも見えます。
不登校の時間は、何もない時間ではなかった
娘さんには、不登校の時期がありました。家から出られず、家族との外出にも参加できない状態です。学校に通い続けることを前提にすれば、その時間は不安や停滞として見えてしまいます。
けれど、母親は後から振り返り、その引きこもった時期を「飛躍的に成長するためのエネルギーの温存時期」のように感じていると話しています。
これは、すべての不登校に同じ意味があるという話ではありません。娘さんの場合、その時期を経て、本人の中にある力が別の形で表れたということです。学校に行けない時間を、すぐに失敗や遅れと判断しない。そこに何が蓄えられているのか、外側からは見えないことがある。その視点は、不登校の子どもを見守る人にとって、大切な余白になるかもしれません。
娘さんは学びについても、一般的な積み上げ方とは異なる姿を見せたそうです。長期間かけて準備する人が多い中、比較的短い期間に集中して取り組み、大きな成果につなげたと家族は感じています。
その集中力を、母親は「宇宙人みたい」と表現していました。できることだけを切り取れば、いわゆる才能の話に見えるかもしれません。しかし、その背景には、学校とのつながりが合わず、外に出られなかった時間もありました。才能と困難は、別々に存在しているとは限らないのです。
娘さんが教えた「自由」の感覚
娘さんは、自分がやりたいことに対しては、はっきりと意思を持って動く人でもあります。語られた旅の話は、その象徴のひとつでした。
以前は外出も難しかった娘さんが、自分の意思でひとり旅に出るまでになったといいます。
この出来事を聞いた母親は、娘さんが「本来はみんな自由だ」ということを教えてくれているのではないか、と感じています。家族だから、いつも同じ場所にいなければならない。子どもだから、大人が決めた道を進まなければならない。そうした思い込みに対して、娘さんは自分の行動で問いを投げかけてきたのかもしれません。
もちろん、ひとり旅をすれば自由になれるという単純な話ではありません。娘さんの場合、本人がやりたいと思ったことに対して、家族が「イエス」と言いながら動いてきた。その積み重ねの中に、今回の旅がありました。
離れていても、家族であることは変わらない。体は離れていても、心はそばにある感覚がある。母親は、幼い頃から言葉以外の方法でも意思疎通を重ねてきた経験にも触れながら、言葉だけではない親子のつながりを語っていました。
伊勢神宮で感じた「選ばれた」ような時間
もうひとつ、母親が不思議な出来事として語ったのが、家族で伊勢神宮を訪れたときの体験です。
ある日、家族で伊勢神宮に立ち寄ったそうです。
夜、鳥居の前は閉まろうとしていました。お参りだけして帰るつもりだったところ、本堂まで行って戻ってくるだけならよいと言われ、境内を歩きました。人が多い場所でありながら、いつのまにか一列になり、それぞれ距離を保ちながら進んでいったといいます。
暗い中、同じ願いを抱きながら歩いていました。「門が開きますように」と願ったそうです。母親は、その場面を思い出しながら、なぜ自分たちが呼ばれたのだろうという感覚や、「選ばれた」という感覚を抱いていました。
これは、誰にでも同じことが起きるという説明ではありません。家族がその体験をどのように受け止めたのか。その受け止め方が、娘さんを見守る上での支えになっていたのだと思います。
親が育てているつもりで、親も育てられている
娘さんは、「普通という言葉は何」と、母親に問いかけるそうです。「こうでなければならない」と定義を示した時には、強く反発することもある。その反応は、周囲が無意識に使っている言葉を、もう一度考え直すきっかけになりました。
母親は、娘さんを育てているというより、自分自身が娘さんに育てられていると言っても過言ではないと話しています。
学校に行くこと。決められた順序で学ぶこと。家族はいつも一緒にいること。子どもは大人の考える安全な道を選ぶこと。そうした「普通」は、誰かを守る場面もありますが、誰かの可能性を狭めてしまうこともあります。
娘さんの話は、学校へ行けない子どもに、無理に前向きになろうと伝えるものではありません。また、特別な力があれば何でも乗り越えられるという話でもありません。
ただ、見えている困難の奥に、その子なりの集中力や判断、やりたいことへ向かう力が存在しているかもしれない。その力は、周囲が用意した道とは違う場所で表れるかもしれない。そんな可能性を、静かに示してくれます。
「宇宙人みたい」という言葉は、理解できないという意味だけではありません。自分の常識から少し離れたところにいるからこそ、こちらが当たり前だと思っていたことを問い直させてくれる存在。今回の話からは、そんな意味での宇宙人らしさが伝わってきました。
やりたいことを見つけた時、子どもも大人も動き出せる。家族の形が少し離れても、つながりは残る。自由でいていいということを、娘さんは言葉だけではなく、自分の生き方で伝えているのかもしれません。












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