内向的な人が、使わなくなるもの
内向的な人は、よく「人見知り」と同じように見られることがあります。けれど、人見知りであることと、内向的であることは、必ずしも同じではありません。
人見知りではないけれど、内側に意識が向きやすい人もいる。反対に、内向的ではないけれど、人と会うことに緊張する人もいる。そんな話をしているときに、ひとつ気になったことがありました。
内側に意識が向き続けると、人は自分の外側にあるものを感じ取るための感覚を、使わなくなっていくことがあるのではないかということです。
人間には、五感があります。見る、聞く、触れる、味わう、匂いを感じる。普段は当たり前のように使っているけれど、自分の内側に意識が集中しすぎると、その感覚が働いていること自体を忘れてしまうことがある。
使えなくなったわけではない。ただ、使わなくなっている。
この違いは、思っている以上に大きいのかもしれません。
「自分がわからない」とき、感覚も遠くなる
自分の感覚がわからなくなる理由として、自分に嘘をついていることが関係しているのではないか、という話もありました。
人に合わせたり、自分の本当の気持ちをそのまま出さなかったりしているうちに、自分が何を感じているのかわからなくなる。何が好きなのか、何に違和感があるのか、どこで心が動いているのか。その輪郭が、少しずつ捉えにくくなる。
また、「こうに違いない」という思い込みも関係します。
新しい環境に行ったら拒否されるかもしれない。何かを始めたら、うまくいかないかもしれない。本当はやってみなければわからないことでも、先に自分の中で決めつけてしまうことがある。
そうした思い込みが強くなると、目の前にあるものを感じるよりも、頭の中で作った予測のほうを信じるようになる。すると、本来なら受け取れるはずの感覚も、遠ざかっていきます。
心を開くというのは、ただ明るく振る舞うことではないのだと思います。
自分が感じたことを、感じたものとして受け取ること。自分の感覚を、最初から否定しないこと。そこに、内側に閉じすぎた状態から少しずつ離れていくきっかけがあるのかもしれません。
五感は、ひとりでも使う練習ができる
五感は、誰かと会話をしなければ使えないものではありません。家でひとりでも、練習することができる。
たとえば、視覚のトレーニングとして、色や形を意識して見ることができる。普段なら何気なく通り過ぎるものを、あらためて見てみる。見えているものを、ただ「ある」と済ませるのではなく、どんな色なのか、どんな形なのか、自分は何を感じているのかに意識を向けてみる。
ここで大事なのは、正しく感じようとすることではないと思います。
「こう感じるべきだ」と決めるのではなく、まずは自分が何を受け取っているのかに気づくこと。感覚を使うというのは、特別な能力を身につけることではなく、もともと持っているものを、もう一度使い始めることなのかもしれません。
その先に、第六感と呼ばれるものの話も出てきます。ただ、それも突然どこかから与えられるものというより、まずは五感を使っていくことが土台になるように感じます。
音を繰り返し聴くと、見えなかったものが聞こえてくる
五感の中でも、話の中で特に具体的だったのが、聴覚の使い方でした。
自分の好きなアーティストをひとり選び、その人の曲を一曲聴いてみる。部分的でもいいので、歌い方を自分で真似して歌ってみる。同じ曲を何度も聴いていると、最初は気づかなかったものが、少しずつわかってくる。
ここで声の出し方が変わっている。ここでは、こういうテクニックを使っている。コーラスがこのように入っている。バンドの中で、ここにこの楽器が入っている。
最初は、ただひとつの音として聞こえていたものが、何度も聴くことで、だんだん立体的に聞こえてくる。平面的だった音の中に、重なりや奥行きが見えてくる。
「聴く」という行為は、音を受け取るだけではないのだと思います。
繰り返し聴くことで、音の変化を感じる。声の違いに気づく。自分が今まで聞き流していたものに、意識が向いていく。その過程で、耳の感覚も使われていく。
さらに、自分の声にも意識を向けられるようになる。自分はいま、どんな声で話しているのか。その声を感じ取ることができると、声の奥にある気持ちにも気づきやすくなるのかもしれません。
誰かの声を聴くことと、自分の声を聴くことは、別々ではない。外から入ってくる音に意識を向けることで、自分の内側にあるものにも、少しずつ耳を澄ませられるようになる。
感じ取ることは、自分を持つことにつながる
自分の意見を持つことや、自分らしくいることを考えるとき、つい言葉や考え方に意識が向きます。
けれど、その前に、自分が何を感じているのかを知る必要がある。感覚を使わずに、自分のことだけを考え続けると、頭の中の思い込みや、誰かに合わせるための判断だけが残ってしまうことがあります。
だからこそ、見る。聴く。触れる。味わう。匂いを感じる。
何かを大きく変えようとするのではなく、目の前にあるものを感じ取る。その小さな練習を重ねることで、自分の中にある感覚が、少しずつ戻ってくることがある。
内向的であることが問題なのではありません。内側に向かう力を持っているからこそ、そこに閉じこもりすぎないために、外側の世界を感じる機能も使っていく。
自分の感覚を大事にすることは、わがままになることでも、周りを無視することでもない。ただ、自分が感じたものをなかったことにしないことです。
内側を見つめることと、外側を感じること。その両方があって、ようやく自分の現在地がわかるのだと思います。












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