冬至の時期に、映画『マトリックス』を思い出した
今回は、映画『マトリックス』をきっかけに、冬至を越えたあとに感じていることを書いてみようと思います。
この映画は、日本では冬至の時期に、アメリカよりも早く先行公開されました。僕はそこに、ただの偶然ではない特別な意味があるように感じています。冬至を境にして、新しい世界が始まる。そのタイミングで、現実だと思っているものが、実は自分の見方や意識によってつくられているのではないか、と問いかける作品が公開されたことに、象徴的なものを感じました。
『マトリックス』の詳しい内容については、ここでは深く触れません。細かく話してしまうと、これから作品を見る人にとってはネタバレになってしまうからです。ただ、映画の中に描かれている「見えている世界が、本当にそのままの現実なのか」という感覚は、僕が普段から話していることとも重なります。
僕たちは、目の前で起きている出来事を、現実そのものとして受け取ります。けれども、その出来事をどう見るのか、どんな感情を抱くのか、そこから何を選ぶのかによって、自分の世界は変わっていく。覚醒する、目覚めているというのは、特別な場所へ行くことではなく、自分が自分の世界をつくっていることに気づいている状態なのだと思います。
現実の中に入り込みすぎない
これから先も、世の中ではさまざまなことが起きていくと思います。大きな出来事が起きたとき、僕たちは知らないうちに、その出来事の中へ入り込んでしまうことがあります。
不安になる。心配になる。落ち込む。怒りが出てくる。そういった感情が出てくること自体は、悪いことではありません。無理に明るくしようとしたり、いつも前向きでいようとしたりしなくてもいい。落ち込んでいる自分に気づいたなら、まずは「今、自分は落ち込んでいる」と見てあげればいいのだと思います。
大切なのは、感情が出てこないようにすることではなく、その感情に自分のすべてを持っていかれないことです。
目の前の出来事に入り込んでしまったとしても、「今、ドラマの中に入り込んでいるな」と気づくことができる。その気づきがあれば、少しだけ距離をとって、フラットに見直すことができます。
この場面で、落ち込み続けることもできる。けれど、気持ちを切り替えることもできる。関わることもできるし、関わらずに見ることもできる。そうやって、自分の反応を選べる場所に立つことが、覚醒して生きるということなのではないでしょうか。
感情は、これからの現実をつくっていく
自分が普段どんな感情を持っているのかは、すぐに現実へ反映されるとは限りません。少し時間差があって、あとから目の前に現れてくることがあります。
過去に自分が感じていたことや、設定していたことが、時間を経て現実の変化として出てくる。僕自身、以前から思っていたことが、11月頃から現実的な変化として少しずつ出てきました。そして12月の後半に入ってからは、さらに大きな変化を感じる出来事もありました。
そのとき、慌てるというよりも、「やっぱり、そういうことなのかもしれない」と感じました。自分が思っていたことや設定していたことは、すぐには見えなくても、時間差をともなって現実に出てくることがある。そんな実感がありました。
だからこそ、日頃どんな気持ちでいるのかを見ておくことが大切になります。
楽しいと思うこと。好きだと思うこと。心が動くもの。そういうものを選択していく一方で、不安や心配が出てきたときには、それにも気づいていく。ネガティブな感情を無理に消すのではなく、「今、こういう不安がある」と認める。そこから、自分はどちらを選ぶのかを見ていくのです。
それは一度で完璧にできるものではなく、日々の中で続けていく練習のようなものだと思います。
壊れているように見えるものの先に
世の中で起きていることを見ていると、表面的には大変なことや、何かが壊れてしまったように見えることがあります。でも、それが本当に悪いことだけなのかは、その瞬間にはわかりません。
一見すると壊れているように見えるものが、新しいものをつくるきっかけになることもあります。だから、出来事をすぐに「悪いこと」と決めつけず、自分の感情と照らし合わせながら見ていくことが必要なのだと思います。
もちろん、無理に良い意味を見つけなくてもいい。ただ、自分がどんな見方をしているのかには気づいておく。その気づきがあれば、出来事にすべてを支配されずに、自分の人生との関わり方を選ぶことができます。
世の中の出来事を、自分の人生と切り離されたものとして見るのではなく、自分の内側にあるものと重ねながら見てみる。そこには、自分がこれまで何を感じ、何を選んできたのかを知るための手がかりがあるのかもしれません。
願望が自然にスクリーンへ現れるとき
冬至を過ぎたあと、新しい世界が始まるという話があります。僕はそれを、外側の世界が突然別のものに変わるという意味だけではなく、自分の見方や選択が変わり、結果として現実の受け取り方が変わっていくことでもあると感じています。
願望を叶えようとして、無理に力を入れ続けなくてもいい。自分の感情に気づき、好きなものや楽しいものを選び、不安や心配が出てきたときにも、それを否定せずに見ていく。そうしていると、少し時間差はあっても、自分がこれまで持っていたものが現実のスクリーンに現れてくることがあります。
すぐに変わらないからといって、何も起きていないとは限りません。見えないところで、自分の選択や感情が積み重なっていることもある。
『マトリックス』のように、気づかないうちにドラマの中へ入り込んでしまうことは、これからもあると思います。けれど、入り込んだことに気づいたら、そこから少し離れて見ることができる。そして、もう一度、自分はどちらを選ぶのかを決めることができる。
その繰り返しの中で、自分の世界は少しずつ変わっていくのだと思います。冬至後の世界を生きるということは、特別な誰かになることではなく、自分の感情と選択に気づきながら、毎日を過ごしていくことなのかもしれません。












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